談合は元々仏教用語、美しい国、日本の伝統である「和をもって貴しと為す」を壊す米国と傀儡政権
2007年 06月 05日
だが、談合を極端に嫌い憎む人々の思考は歪んでいると、私は思う。このような歪んだ考えの持ち主はマスコミリーダーの中に極端に多いのが、残念ながら、わが国の現実である。彼らは「談合は悪である」と考えているが、これは誤っている。談合そのものは悪ではないのだ。談合を悪用して私腹を肥やすことが悪なのである。
マスコミも公正取引委員会も司法も政治家も、「談合」と「談合を悪用して私腹を肥やすこと」の区別を理解していない。「不正なき談合」が長い間存在してきたことが理解できない。「不正なき談合」は社会に利益をもたらすことを知らないのである。「談合」そのものを悪とする人たちの頭がどうかしているのだ。悲惨である。
竹林征三教授は言う——「談合とは民主主義の基本なのではないでしょうか」と。また、「談合とは元々仏教用語なのです。…師と弟子が話し合っていくことです」と竹林教授は言っている。談合を悪のシンボルにしてしまったマスコミは大きな過ちを犯しているのだ。
談合と競争についてマスコミは誤っている。競争とは「とことん争い勝ち負けを決めるて、勝者が物を獲得すること」(竹林教授)こと。この反対の概念は「争わずに譲り合って誰かが物を得る」こと。「競争の反対の概念は『譲り合い』であります」(竹林教授)。
これは健全な常識論であり、正論である。
『「談合は悪」「競争は善」という単純なYES、NOの価値判断思想が日本中で蔓延してしまっている。一方日本の談合は諸外国では価値が高い。欧州フランスでは絶賛されている。談合を罪悪視しているのはアメリカとアメリカの影響の強い国だけである。
そのアメリカですら、平和的な話し合いで解決する談合は素晴らしいシステムと評価する人が多い。アメリカスタンダードが善、日本標準は悪の思想は反日マスコミによる洗脳思想工作の結果なのです。日本的社会システムがアメリカとして問題であり、面白くないということにすぎません』(read)