都会に住むなんて、アホの極み!黒山の人だかり、人をかきわけて真ん中に出てみても、何もない虫もいない
2007年 07月 04日
中山間地域というのは農水省の概念で、要するに過疎地のことである。島根県は徹底的な過疎県だから、こういう立派なセンターがあること自体が、過疎対策みたいなセンターなのである。
私が特別顧問であるのに、いささか具合が悪いことには、このセンターには福井幸二さんという虫屋がいる。だから行くよというと、たちまち虫捕りのプランができてしまう。さらに田坂裕嗣さんという働き者がいて、あちこちに連れて行ってくださる。
それに加えて、なぜか山陰の虫屋さんのうち、暇のある人がその時期に集まる。集まって飯を食う。飯を食って、親睦を深める。これも過疎対策というべきであろう。なぜなら虫屋くらい、過疎地に頻繁に行く人たちはないからである。
日本政府は虫屋をすべて、過疎地に移住させればいい。ただし虫捕りだけでは食えないから、生活を保障する必要がある。それには道路工事の予算を当てることにする。道路を作ったことにして、お金を払えばいいではないか。そんな僻地にちゃんと道路ができたかどうか、確認に来るのは虫屋だけである。あとはどうせ熊や狸しか使わない。会計検査院が来るわけがない。
山陰に飛行機で行けば近い。出雲空港、米子空港、石見空港まである。でも私は頑として列車で行く。今回も五時起き、新幹線で岡山に行き、特急出雲で出雲駅まで行った。列車から見ると、景色がよく見える。どこに虫がいそうか、それを見る。草木が豊かに生い茂った山を見るだけで、胸が膨らむ。珍しい虫がいるかもしれないと思う。美人がいるかもしれないとは思わない。
飛行機じゃあ、細かい景色が見えない。山全体の様子はわかるが、天気が悪いと全面的に雲しか見えない。ともあれ出雲について、センターの田坂さんのお出迎え。あとはすべて田坂氏任せという大名旅行。
まず古代出雲歴史博物館に行く。出雲大社のわきに最近できた立派な博物館である。荒神谷から出た銅剣が三百何十本、全部みごとに並んでいる。博物館の建物も立派で、ひたすら感心する。ただ私は、人工物に関して、本質的には関心がない。せっかく見せていただいたのに、申し訳ありません。それは、世間の大多数の人が、本質的には虫に関心がないのと同じである。
それから松江の島根県庁に行き、四月からの新しい知事さん、溝口善兵衛氏にご挨拶をする。いちおう私は島根県の顧問だからである。溝口知事さんは、財務省の出身とはとても思えない、人柄のよさそうな方である。むろん私は財務省に対して強い偏見を持っている。虫屋にお金を出さないからである。
私は過疎地になんの関係があるかというと、なにもない。ただ思想的には反都会、反東京、親田舎なのである。私が育った時代は日本中が田舎だった。冷暖房もパソコンもケータイもなく、テレビすらなかった。車がなくて、牛と馬がたくさんいた。要するに田舎出身である。だから歳をとるほど、田舎がよくなる。
都会に住むなんて、アホの極みだと思っている。都会とは黒山の人だかり、人をかきわけて真ん中に出てみても、なにもない。出世したところでホリエモンに村上ファンド。警察に捕まるだけ。そもそも虫がいない。六本木ヒルズに虫がいるか。このビルはそのうえ禁煙。なんで虫のいない土地なんかに住むのだ、アホが。(read)
■「虫!気持悪い!触らないで!」としか反応出来ない母親が子供の好奇心を摘み取って行くのを見かける事があります。私自身もコンクリート産まれのアスファルト育ちなので、虫を嫌がってた時期もありました。今も埋立地のコンクリートの中でキーボードを打っています。でも自然の中で「虫たち」が果たす大切な役割を知り、自然に触れ親しんで行く中で「虫たち」はもの凄く愛おしいものに変って行きました。大きな自然の繋がりの中で生かされていると言う認識を欠いたまま、情報を消費するだけの人生は「セカンドライフ」や「マトリックス」と何ら変りません。
「ニンゲンは自然をよく真似る、女はとくにそうだ。
海の方の女は気性の荒い一面がある、それは海のせいだ。
山の方の女はえてして優しい、それは植物のせいである。
自然を真似た女は畏(こわ)い、そしてやさしい。
自然を真似なくなった女は 狂う」と藤原新也師