絶望は愚者の選択


by beautiful_japan
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■中国・China・矛盾■

■日本の急速な近代化 私には謎
欧米列強が新しい世界市場を造るために起したのがアヘン戦争で、アジア最大の市場として中国が選ばれた。中国は華夷秩序の中で外国を夷狄(いてき)とみなす高慢な国で、列強が来た時の備えができていなかった。中国人には恥辱だが、失敗の原因を考えさせることになった。

海洋国家として国土の侵犯を受けなかった日本にとってペリーの来航は相当の衝撃であった。アヘン戦争もあって、日本は内政改革と対外解放、西洋化の必要性を分かっていた。明治維新がなければ日本は滅びたかもしれない。私にとって謎なのは、他の国なら200〜300年かかる変化が、ペリー来航から30年ほどで日本で起きたことだ。

明治の統一国家の形成は、東北アジアに初めて近台国家ができたことに意義がある。清朝が「中体西用」など伝統を巡る議論をしていた時に、日本は急速に近代化を完成させた。文化的要因があったのか。私はこの大きな変化の謎が理解出来なかった。日本民族の特徴として、失敗から学ぶ点があると思う。白村江の戦い(663年)で唐に学び、ペリー来航で西洋に学び、第二次大戦の敗戦で米国に学んだ。

大国・中国の戊戌(ぼじゅつ)の変法、康有為(カンユーウェイ)らの立憲君主制の試みは失敗した。同時代の中日両国で起きたことは正反対で、とても残念なことだ。

その後富国強兵を実現した日本は弱者の中国に戦争を仕掛けた。中国には「身に凶器を持てば必ず殺意生ず」という言葉がある。両国の戦争は東北アジア千年の歴史で最も悲惨な出来事だ。千年続いたもろいパワーバランスを壊してしまった。

この戦争の直接の結果が米軍による日本の占領だ。米国には1850年代から大平洋を内海にするという構想があったが、それは約100年後の占領で完成した。

ここまでの出来事から多くの教訓が得られる。最も重要なのは中国がどのように外来の文化と影響に対処したか。中国がどのように自らの文明や歴史や伝統を判断したかということだ。アヘン戦争以後の中国は失敗続きだった。それは腐敗した伝統文化だけでなく、中国が世界の潮流に乗り遅れたことによる。150年にわたり一代一代と悲劇が伝わり、自信をなくして天命に任せるしかなかった。

中ソと日米の同盟関係は見かけは共産主義と自由主義のイデオロギー対立だが、重要なのはアジアが西側との同盟なしに自らの安全を保てなかったことだ。これは進歩なのか、
退歩画像)なのか。

子供の頃に読んだドイツ哲学には「悪が歴史の進歩を促す」と書いてあった。私も含めて文化大革命では苦しみと悩みが多かったが、それでも文革には中国と東アジアの歴史で積極的な意義があると思う。文革の激しい衝突と矛盾がなければ、その後の大きな変化もなかったからだ。

改革・開放は中国人に数百年来なかった実質的な利益をもたらした。経済と精神両面
の変化と、中国人に新たな自信を与えた。当然、中国に根深い「天朝思想」(王朝意識)も出てきた。だが、中国の発展は初歩的な段階に過ぎない。中国人の国民的資質を高めなければならない。近い将来のアジア共同体の実現は難しいが、日中韓の歴史に裏打ちされた文化パワーが噴き出すだろう。儒教文化圏は大きな力を持っている。

before

■東洋思想と新しい世紀 
中体西洋、変法自強。体認感応、有序中庸。 アジアを覆う高速資本主義のなか、すでに中国は 「天人合一」の復活をめざしているようだ。そんなことが可能とは 日本人には思えないだろうが、 ここは、日本がほぼ忘れ去った経済社会観が 龍脈のごとく動いている。

本書は中国の国際文化交流中心という機関と安田火災海上とが1996年にスタートさせた「東方思想国際学術研討会」をまとめたもので、1998年に北京でひらかれた会議を下敷きにしている(研討会とは中国語のシンポジウムの意味)。編者の後藤康男は当時の安田グループ側の代表である。

この会議は、20世紀の終わりの日中シンポジウムだったから「新しい世紀」などというタイトルがついているのだが、1年ほど前に読んでみたら、なかなかの拾いものだった。アジアの社会経済文化を20世紀末に展望した本でありながら、それを10年後に読んだというこのズレが、かえってぼくをおもしろくさせたのだ。

いやズレだけがおもしろかったのではない。まっとうな理由もいくつかある。発言者および執筆者の大半が中国の知識人や研究者であること(それぞれイキがいい)、10年前の提言であるがゆえにかえって日中の共同問題やギャップがよく見えること(中国側の提言のほうが明確だ)、中国人は欧米社会の歴史と現在に対して強い批評精神をもっていること(ヨーロッパにもアメリカにもうんざりしている)、貯蓄好きの日本が投資好きの日本に鞍替えしたことを日本は反省し、中国は批判していること、中国の「天人合一」の理想が思ったより強いこと‥‥等々。

こういう姿勢がはっきりしていた。とくに中国側の発言は欧米史をまるで片手で一掴みしているかのようで、いまさらながらそこが頽明で、愉快であった。たとえば、「ヨーロッパ社会が維持されてきたのは、ローマ帝国統一の理念の継承、グレゴリー7世以降の教会権力の維持、フス党の反乱以来の民族国家運動の煽動という3つの体制理念だけによるものだ」といったような一掴みだ。こういう乱暴で強引な指摘は、ふだんはなかなかお目にかかれない。しかしこういう見方ができるから欧米の歴史と現在にふりまわされていないとも言えるのである。

というわけで、出し遅れの証文じみてはいるものの、本書のなかの提言を少々紹介しておきたいと思った。きっと意外な見方がありうることに気がつくだろう。発言・執筆者は20人をこえているが、めぼしいところのみをピックアップしてみる。肩書は当時のままにした。

★汪道涵(海峡両岸関係協会会長)‥近代の中国人は西方社会を泰西(タイシー)とよび、中国とその周辺社会を遠東(ユァントン)とよんできた。その中国は現代を迎えるにあたって、いったん「変法自強」と「中体西洋」を採用した。しかし、それだけでは21世紀中国はつくれない。ここに古代中国の理念、とくに「天人合一」を加えたい。

★謝遐齢(上海復旦大学主任教授)‥西洋社会は「思弁と論証」を重視し、東洋社会は「体認と感応」を重視してきた。西洋的論理にはこの体認と感応が入ってこない。そのため、そこに気がついた20世紀後半の西洋の知識人はやたらに“感性”“感覚”や“心理”を浮上させようとしてきたのだが(この指摘はなかなかのもの)、これが大きな誤りを引き起こす原因になった。こんな西洋と東洋が衝突するはずがない。それゆえハンチントンの「文明の衝突」の予想はまちがっている。東洋は論理も思弁も体認も感応も、最初っから「気」のなかにとりこんでいる。こういうことに気がつく西洋の知識人は、(ハンス・ゲオルグ・ガダマーらを除いて)きわめて少ない。

★王志平(上海東方研究院顧問)‥いま人類の知識の情報化が年に5倍ずつ膨らんでいる。これをそのまま受け止めていては何が何だかわからなくなる。中国はこれを、
(1)農業文明において受ける、(2)中国的な科学技術において受ける、(3)情報を中国の文明性に寄与しうるものに集約していく、という方針をもつべきだ。そしてこれらを交差させる視座として天人合一の思想と、気の哲学(とりわけ直観と頓悟の方法)を取り戻すべきだ。

★鐘志邦(シンガポール三一神学院教授)‥マレーシアから独立してまだ40年しかたっていないシンガポールには、中華の儒教的大伝統ではなく、多元的な小伝統が入ってきたまま育っている。いまシンガポールは、リー・クアンユーの息子のリー・シェロンが明確に表明しているように、「西洋型の個人的権利の拡張」よりも「個人が集団を通して充実しうる社会」に向かいたい。

★黄範章(中国国家発展計画委員会マクロ経済研究院主任研究員)‥これまで東アジア社会は追随型の経済モデルを選んできた。そのため日本・韓国・シンガポールはいずれも政府官僚主導型の経済成長を実現してきた。ここには理由があった。家父長的管理社会であること、目上に対する忠孝の意識が強いこと、また「寡(すくな)きを患(うれ)えずせして、均(ひとし)からざるを患う」という見方が蔓延していたことなどだ。しかし、ここには腐敗もつきものだった。

貯蓄が奨励されたことも、追随型の経済モデルを有効にはたらかせた。とくに日本は倹約思想と高貯蓄高によって未曾有の高度成長をなしとげた。しかし、これらがグローバリズムの波に乗せられて「貯蓄から投資へ」と方向を崩していけば、とたんに強靭な経済モデルが解体していくことになる。いまの日本はそうなっている。それに対して中国は21世紀にはふたたび温故知新して、「有序」「中庸」の方法を重視すべきだ。

★陳方正(香港大学中国文化研究所所長)‥東洋においても魯迅三島由紀夫ふうの「現実に対する嘲笑の姿勢」が失せてしまった。21世紀社会は売上高と視聴率によってのみ動き、すべてが消費構造への埋没に向かっている。これでは中国や日本も、次の三極に分かれていくだろう。(1)教条主義的に現代社会を批判して原則に戻ろうとする。(2)現代社会からの脱出を試みる。たとえばポストモダニズム。(3)伝統を組立て直して21世紀に適用する。

しかし、これらを既存の「知の言葉」で説明する試みはいずれも失敗するだろう。そもそも現代社会の急激な情報メディア的変質を既存の論述の枠組みのままあらわすことは不可能だ。中国は(そして、できるのなら日本も)、この三極とは異なる方向を考えるべきだ。

これまで東洋は「融合と併存」を選択してきた。ならば中国は今後も「内儒外法」をとりつづけたい。とくにグローバリズムの驀進のなかでの、ミトコンドリアのような「内共生」や、「一体二制」や「準共生」が重要になってくるだろう。

★劉本傑(シカゴ大学・台湾東華大学教授)‥どんな富であれ、富というものは社会の矛盾を増長する。東洋の経済学は「経世済人の学」でなければならない。それには「量」の経済を「質」の経済にするだけでは足りない。「環」の経済にするべきだ。それによって初めて、新鮮な空気を吸う、朝日を浴びる、深山の清水を飲むといった行為が経済の対象に入ってくる。新たな問題はグローバル・オポチュニティにあるのではなく、ローカル・オポチュニティにある。

「やっぱり中国は本気で儒教資本主義を結びつけようとしている」

after

■ダルフール問題についてのブログ読者からのメール
初めまして。いつもブログを拝読しております。さて、今回はお願いがあってメールしました。長文になりますこと、予め謝っておかねばなりません。「ダルフール紛争」をご存知でしょうか?スーダン西部にあるダルフール地方で起こっている紛争です。2003年に始まったとされている現在進行形のスーダンの内戦です。もともと同じイスラム教徒内でのアラブ系とアフリカ系による紛争で最初は双方が無差別に攻撃をしあっていたらしいのですが、今は現スーダン政府に支援されたアラブ系民兵「ジャンジャウィード」が中心になって一方的にアフリカ系住民を攻撃しています。それはジェノサイドと呼ばれる非人道的な虐殺行為で、とてもこの世のものとは思えません。男は去勢後撲殺され、女は拉致されて何週間もレイプされ、襲撃された村々は骨すら粉々に灰になるほど焼き尽くされます。

目玉をくりぬかれた人、抱いていた赤ん坊を引き剥がされ目の前で銃剣でさされた母親、幼い子供を焚き火に放り込まれた母親もいます。私には一歳の息子がいますが、目の前で息子が同じような目にあったらなど想像もできません。狂ってしまいます。国際的な非難がある中、現スーダン政府は「小競り合い程度だ。」と全く取り合いません。更に悪いのは、これには背後で中国政府が関与していることです。現在、高度経済成長中であり、また北京五輪をひかえた中国はエネルギーが必要です。スーダンの石油利権は中国国営企業も含め、ほとんどを中国が独占しているような状態です。このため、この利権を手放したくない中国は、これまでに国際連合の常任理事会でスーダンへの国連平和維持軍の派遣等、ことごとく常任理事国の拒否権を使って阻止してきました。

それどころか、現スーダン政府に資金と武器を供給しています。罪のない人たちの虐殺に使用されている武器はほとんど全てが中国製です。中国には法輪、チベット、東トルキスタン、その他自国内でも人権問題を抱えていますが、ダルフールは間接的ですし、そんな問題の一つに過ぎないのかも知れません。ところが、今年の3月28日にアメリカの雑誌でユニセフ親善大使を務めるミア・ファローが「虐殺オリンピック」と題した辛辣な記事を寄稿しました。この中で非難された北京五輪の芸術顧問を務めるスピルバーグ監督は、それを「不本意だ。」としながらも、数日後に北京に対してダルフール紛争の解決に努めるよう書簡を送ったそうです。そして、以来、アメリカ、イギリス、フランスなど先進諸国では市民団体も結成され、先日はアメリカで北京オリンピックボイコットに関する決議がなされるなど関心と行動が広がってきています。

北京五輪のスポンサーやスーダンに石油利権を有する中国の石油会社に投資している投資家等に対する「負の投資活動」も功を奏してきているとのことです。しかるに我が国では、ダルフールの現状は24時間テレビでも取り上げられません。国内では従来から中国利権を握っている大物がおりますし、五輪に際して秘かに「北京五輪を支援する議員の会」というものが結成されていることから、中国の利権が絡んでいるため、主要なメディアもうかつに記事にできないのかと想像していますが、マスコミや政治家にお詳しい「世に倦む日日」の管理人様なら、何か推察可能でしょうか?上記ブログにもありますが、このリストについて入手した「中国の黒い罠」の宝島編集部は「公開は遠慮して欲しい。」と言われたそうです(上記ブログ記事が当局からの圧力により削除されていましたら、私が全文のコピーを保存していますので、おっしゃって下さい)。

他の先進国では運動が広がっていますし、報道もされています。国連の平和維持軍の派遣も決まりましたが、これまでさまざまな介入を一切断ってきたスーダン政府が受け入れるかどうか分かりません。まだまだ力が足りないのです。何の肩書きもない一人ひとりの関心が広がりを見せることを願っています。世界はこれまでにホロコースト、東南アジアにおける虐殺、ルワンダ虐殺など他国の無関心と不介入から食い止められなかった虐殺をその度に反省してきました。しかし、ダルフールでは現在進行形で耐え難い虐殺が行われています。お教え下さい。どうして日本国内ではこのダルフール紛争が大々的に取り上げられないのでしょうか?遠い国だからでしょうか? どうも私には中国利権が絡んでいるように思えてなりません。どうか、このダルフール紛争について関心を持っていただけたのなら、ブログの記事として取り上げていただけないでしょうか?

お忙しい中、長いメールをすいません。それでも、多くの方に読まれていて政治的関心の高い貴ブログに取り上げていただけたら、一人でも多くの人の関心が集まると思いますし、この紛争について報道で取り上げられない背景を考察してご教示いただけたらと思います。どうか、前向きなご検討をよろしくお願いします。そのためにご質問あれば、
私で」よろしければ分かる範囲でお答えさせていただきます。

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by beautiful_japan | 2007-09-10 23:54 | 宗教 vs グローバル化