絶望は愚者の選択


by beautiful_japan
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【七転】だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ・何と桃太郎の起源はインドにあった事が判明!【八起】

三宝(仏・法・僧)を敬うはずがなんでこんな事になってしまったんでしょうか?
1.「お釈迦様でも御存知あるまい」
2.「ダルマ()さんがころんだ」
3.「ボンさんがヘをこいた」
これは「日本の方法」に何か問題があると考えました。

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■童謡の「桃太郎」
一、桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけた 黍団子 一つわたしに くださいな
二、やりましょう やりましょう これから鬼の 征伐に ついて行くなら あげましょう
三、行きましょう 行きましょう あなたについて どこまでも 家来になって 行きましょう
四、そりゃ進め そりゃ進め 一度に攻めて 攻めやぶり つぶしてしまえ 鬼が島
五、おもしろい おもしろい のこらず鬼を 攻めふせて 分捕物を えんやらや
六、万々歳 万々歳 お伴の犬や猿雉子は 勇んで車を えんやらや

花輪和一先生版桃太郎↓

■青空文庫 芥川龍之介先生の「桃太郎」 以下抜粋
桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである

その上猿は腹が張ると、たちまち不服を唱え出した。どうも黍団子の半分くらいでは、鬼が島征伐の伴をするのも考え物だといい出したのである。すると犬は吠えたけりながら、いきなり猿を噛み殺そうとした。もし雉がとめなかったとすれば、猿は蟹の仇打ちを待たず、この時もう死んでいたかも知れない。しかし雉は犬をなだめながら猿に主従の道徳を教え、桃太郎の命に従えと云った。それでも猿は路ばたの木の上に犬の襲撃を避けた後だったから、容易に雉の言葉を聞き入れなかった。その猿をとうとう得心させたのは確かに桃太郎の手腕である。桃太郎は猿を見上げたまま、日の丸の扇を使い使いわざと冷かにいい放した。

「よしよし、では伴をするな。その代り鬼が島を征伐しても宝物は一つも分けてやらないぞ。」欲の深い猿は円い眼をした。「宝物? へええ、鬼が島には宝物があるのですか?」「あるどころではない。何でも好きなものの振り出せる打出の小槌という宝物さえある。」「ではその打出の小槌から、幾つもまた打出の小槌を振り出せば、一度に何でも手にはいる訣ですね。それは耳よりな話です。どうかわたしもつれて行って下さい。」

桃太郎はもう一度彼等を伴に、鬼が島征伐の途(みち)を急いだ。

鬼は熱帯的風景の中に琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗(すこぶ)る安穏に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機を織ったり、酒を醸したり、蘭の花束を拵(こしら)えたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。殊にもう髪の白い、牙(きば)の脱けた鬼の母はいつも孫の守りをしながら、我々人間の恐ろしさを話して聞かせなどしていたものである

「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角の生えない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉をなすっているのだよ。それだけならばまだ好いのだがね。男でも女でも同じように、嘘はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」

人間の知らない山の奥に雲霧を破った桃の木は今日もなお昔のように、累々と無数の実をつけている。勿論桃太郎を孕んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉は今度はいつこの木の梢へもう一度姿を露わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……

■芥川龍之介先生の「自虐史観版」桃太郎いかがでしたでしょうか?さて、日本の代表的な昔話の「桃太郎」ですが意外にもその起源は「智慧・法(ダルマ)」の大国インドにあるようです。

■インドの桃太郎伝説
今年の10月2日は、インドの祝日。マハートマー・ガンディーの誕生日であると同時に、インド最大級の御祭りダセラ(Dussehra)なのだ。で、このダセラであるが、言われは大凡以下の通りだ。

インド2大叙事詩の1つ『ラーマーヤナ』の中の話の1つで、主人公ラーマ王子が悪魔ラヴァナを倒すという冒険譚が記されている。このラヴァナは、ダセラ(10の頭)を持っており、夫々激情、プライド、怒り、貪欲、理性の喪失、欲望、憎しみ、嫉妬、利己主義、不正直と、要はあらゆる欲望を象徴している

ラヴァナにシータ姫をさらわれたラーマ王子は、部下の猿神ハヌマーンを引き連れて、ラヴァナの棲むランカ島(セイロン島、現在のスリランカ)に渡る。島での激闘の末、ラーマ王子はラヴァナを倒し、松明の灯るインド本土に帰還するという話。ラヴァナを倒した日がダセラ、帰還した日がディワリ。

・・・島に渡って、猿を引連れ鬼退治。どこかで聞いたことのあるシチュエーションだが・・・!桃太郎伝説だ。詳細は、かなり変化しているが、日本の昔話の代表作品である桃太郎伝説は、このダセラのくだりが元になっているらしい。キビダンゴは、差し詰めグラブ・ジャムン(インドの甘菓子、とても甘い)なのかな・・・?

■ダシャラ祭の大爆発
私がもっているインドの行事について書かれた本を読んで多少分かったことを書いてみよう。ダシャラは9月から10月にかけてのASHWINという時期の月の満ちにあわせて10日間行われます。このお祭の趣旨は、Lankaという場所にいる10個の頭をもつ悪の枢軸Ravan
に、Ayodhya国の「プリンス」Ramが勝利したこと祝うことなんだそうな。

なんで戦うことになったかは、まぁ色々あったんですよ、いざこざが。全部訳すと長くなるのではしょりましょう。で、この10日間の戦いの記憶として、ダシャラ祭として後世に残されたわけです。ダシャラは正義は勝つ!ということを祝うものなので別名
Vijayadashamiとも呼ばれてるらしい。なんで正義が勝つからVijayadashamiと呼ぶのかは、わからん・・・インドの行事は奥が深いのだ・・・。もうちょっとインド行事事情に精通しないと理解できる日はとおいかのぉ。ともかく悪習を排し正道を歩みましょうというメッセージがお祭にこめられてます

ダシャラ(Dussehra)またはDasha-haraの語源は「10個の顔を持ったヤツに勝ったぜ!
」なんだってさ。それなのにこの本では 「かといって悪党Ravanはもとから悪党というわけではありません」とある・・・なんで?理由が超インド的で「Ravanは熱心なシヴァ神信望者だからです」だって・・・。そうですか・・・。でもそんな熱心さがかわれてスペシャルな力をもらったRavanは、あっさりその力を悪用。そして悪党呼ばわりされることになったらしい。あーアホだね、Ravan。

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MAKYO - Tantrika(Yakshini

■根本的な精神の支柱がここまで違う事を芥川龍之介先生も憂いておられたのだと思います。「日本化」とは要するに去勢ではないでしょうか?「世襲制の僧侶」や「スパイシーでないインド風肉じゃが」とか。その「去勢」の最たるオタク文化を世界に拡散させる潮流は実にグローバル化に適っていると思います。(これは例の不正アクセスによって消失した8月3日分のエントリーの一部です)

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by beautiful_japan | 2007-09-26 22:22 | 宗教 vs グローバル化