絶望は愚者の選択


by beautiful_japan
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■花鳥図押絵貼屏風■

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■洛中洛外図
永徳の唐獅子は『昭和残侠伝』のタイトルバックでしか知らなかったが、たいそうなものである。『洛中洛外図』、新発見の『洛外名所遊楽図』もこれまたたいそうなものである。この展覧会は「狩野派」のもの(つまり永徳工房製作で、永徳ブランドだけれど、真筆とは判じがたいもの)や「伝・永徳」のものもまとめてどおんと並べてある。

素人が見ても、「おおおお」と「ん?」くらいの違いがある。 もちろん工房製作だって、伝永徳だって技術的には完璧なのである。でも何かが違う 何が違うのか技術的なことはわからないが、比喩的に言えば「針の穴に手前から糸を通そうとしている絵」と「針の穴にもう糸が通ったあとに糸をひっぱるような絵」の違いに近い。どういう絵になるのか、細部まで全体の構想ができていて、一気に描いた絵と、そうでない絵の違いといえばよろしいか。

武道では、立ち合いのときにこのあと何が起こるのかがあらかじめ「わかっている」人の体感が場を支配する。時間をフライングする人」が先の先を取る。おそらく芸術でもそうなのであろう。 自分が何を完成させるのか、それを人々がどのように感嘆するのか、数百年後の美術館の観客の嘆息まで「わかって描いている人」の絵はそうでない人の絵とずいぶん質が違う。それは造型の細部とか筆遣いがどうこうということではなくて、作品のもつ「迫力」としてしか形容しがたいものである。

もう一つ興味深いことがあった。 それは山水を描いたものも洛中洛外図もそうなのだが、「これはいったい誰の視線から見た世界なのか?」ということである。手前のものも遠方のものも、すべてのものが等距離に見える。 家の中まで見える。あるいは『花鳥図押絵貼屏風』では鳥も花も虫も「すべてにピントが合っている」。人間の目に世界はそのようには見えない。 これは「神の視線から見た世界」なのか? 私はそうだと思う。

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8月23日熱中症で倒れるDo Co Mo 2.0 Co Do Mo
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by beautiful_japan | 2007-10-30 11:11 | 雑談 ライフログ