絶望は愚者の選択


by beautiful_japan
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■霊性・知性・身体の調和こそ人間本来の姿である■

■阪神大震災を目の当たりにして持ち物は極力少なくしようと心に誓い、一時は部屋の中でも寝袋で眠っていた私ですがCDと本の増殖だけはどうしても抑えられません。部屋は広くないし、本やCDを部屋の中に所狭しと並べる趣味はないので旬のモノ以外は段ボール箱に入れて片付けてしまいます。CDはiTunesと言う素晴らしい発明のお陰で簡単に探し出せますが、本は探し出すのが大変です。(誰かiBook発明して下さい)

しかも先日の通過儀礼に続いて、厚化粧を落とした開放感で勢いよくキャベツを千切りにしてたら右手の人指し指までスライスして両手が不自由!何かを得る為には何かを失わないとダメって事ですかね?やっぱり。そんな訳で積み重なった段ボール箱から本を引っ張り出して来るのが大変!

私はヒンドゥー神秘主義ヲタなので「インド」と名のつく本を見かけたら必ずチェックする事にしています。とは言え玉石混淆でほとんどハズレなんですが、三省堂本店のピッコロの前に中公新書ラクレの棚があった頃、何か他の本を探してる時に偶然見つけたこの本
は当たりでした。


■出口のない時代
私が大学に入学したのは1994年である。翌年、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起った。現代社会のあり方に疑問をもち、自己の存在のあり方を懸命に問う若者たちがあのような凄惨な事件を起した。

一方で、社会学者の宮台真司は、彼らの一世代下の私たちを「まったり世代」と称して賞賛した。生きる意味など問わず、その時々の楽しさという「強度」を求めて「終りなき日常」を生きていゆく。それこそが成熟した近代社会の生き方である。そう彼は主張していた。「なるほど」と正直思った。しかし強烈な違和感も同時におぼえた。「信仰があるからこそ、終りなき日常を生きてゆけるのではないか?」(=コミュニケーションを通じた承認の問題)そう思った。

また、同時に保守派による戦後民主主義批判が大きな流れになっていた。その議論に、私は強くひかれた。しかし、彼らが振りかざす「公の精神」という概念に強い疑問を感じた。「結局のところ公と私を二分化する近代主義者なのではないか?」と思った。小林よしのりは「戦争論」や「ゴーマニズム宣言」などの一連の著作の中で「公」の精神の重要性を強く説いている。そして一方で「私」の領域では非常にふしだらな行為を行っていることを激白している。公の領域では立派な日本人を演じる反面 、私の領域においては何をやってもよい。

これを読んですぐにマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最後のくだりを思い出した。ウェーバーは、世俗化し合理性や効率性のみを追求する近代社会が「精神なき専門人」と「心情なき享楽人」という二分的な人間を作り上げてしまったことに、強い警告を発していた。「信仰を失った保守主義者は単なる近代主義者なのではないか?」と強く思った。

私には現代日本社会の出口が全く見えなかった。私は日本社会が歴史的に蓄積してきた宗教的伝統を見つめなおしたかった。しかし、そのような意識は、ともすると信仰なき近代的保守主義者のイデオロギー的なナショナリズムに回収されてしまう。かといってカルト的な宗教には惹かれない。ポストモダニズムは「脱構築」を目指すばかりで、あるべき価値を語ろうとしない。価値を語ることの権力性ばかりを強調する。うんざりである。

私は悶えていた。


■これを読んで、2ちゃん語で言えば「よう俺!」と思いました。専門的な教育を受け今は大学院で教鞭を取られている准教授に、高校を4年かかって卒業し水商売のアルバイト以外これといった職歴もないヒキコモリの私が言うのもおこがましい話なんですが(ネット革命!)「昔話は建設的でない」と萱野先生がおっしゃってたし、ドッグイヤーな三ヵ月前とは状況もかなり違うので思う所は色々あるけどここはサラッと流しておきます。

とは言えこの機会に宮台先生に一言申し上ておきたいですな。三省堂本店で先生のサイン入りのこの本買いましたけど、何ですか!この本は?どう考えても詐偽でしょ?この本は!批評読んでこりゃ面白そうだ♪と思って映画見て何度ガッカリさせられた事か。。映画より面白い批評書いちゃイカンですぞ(w

それと期待が大きかったからなのか、中島先生のこの本には正直ガッカリさせられましたよ。同じテーマで書いたインドシロウトの人の本の方がコントラストが際立って深みがありましたね。などと皮肉の一つも言いたくなるのは宮台先生・中島先生お二方とも「グルジー」の事を「ないものをあるように言う」とか「神秘のベールで覆うな」等と批判するからです。フィールドワークだか何だか知りませんが所詮座学が基本の「観測者」ですよね?「当事者」の視点観点とは次元が別!「神秘は在る」事をお忘れなく。

ここで私の神秘体験を語っても何の信憑性もないので、お二方は先刻御承知だとは思いますが御存知ない方もおられると思うのでガイアシンフォニーラインホルト・メスナーの体験をば。


■地球交響曲第一番 もうひとつ別の次元の現実が存在する
80年8月20日、エベレストに登ったときのことです。頂上へアタックを開始してすぐ、深いクレバスに落ち、脱出するのに体力を使い切ってしまいました。濃い霧で方角もまったく判らなかった。極限の疲労感の中で雪の上に横たわっていたそのとき、突然、一人の少女が私の横に座っているのに気がつきました。話しかけると、少女ははっきりした声で答える。幻覚でも自分自身と話しるのでもなかったのです。私はなんでも少女に相談しました。もし彼女がいなかったら、あの遠征は失敗に終わっていたでしょう。

目にみえている世界だけがこの世のすべてではないということを、ヨーロッパではなかなか理解しようとしません。しかし私は、理性や五感だけでは捉えることができない、別の次元の現実が存在していると確信しています。死の地帯に体が踏み入ったとき、初めてそれが見えてくるのです。もうひとつの別の次元の現実が存在すると私が確信するようになったのは、1970年 のナンガ・パルバートの体験からでした。下山の途中、私はおよそ800メートルの崖を墜落したのです。そのとき、私は落ちてゆく自分を、上から静かに見つめているもう一人の自分がいることに気付いたのです。人間は、じつは2つの次元の中に生きている。その、一方はふだんは見えない。このことが私の人生のもっとも重要な体験になったのです。

私は山を征服したいのではありません。登れるということを証明したいのでもない。ただひたすら、私は自分を知りたかったのです。この有限の肉体を持った裸の私が、生命の存在を許さぬ死の地帯で、どこまで命の可能性を広げることができるかを知りたかったのです。だから、大きな組織や科学技術の助けを借りて山に登ることは、私にとって意味がなかったのです。

■生命力は自分の周囲に無限に存在し渦まいている
私は自分が自然の一部分であるということを強く感じています。私と水や木や草との間にはなんの区別もない。同じひとつの流れの中にあるんです。科学や医学の進歩によって、私たちは昔の人よりずっと多くのものが見えるようになった。しかし、その代償としてなにかいちばん大切なものが見えなくなっていているように思うんです。

私は他人より超人的な体力や耐久力を持っているわけではありません。ただ私は生命力を発揮する方法を他人よりよく知っていたと思います。生命力は自分が所有しているというようなものではなく、私たちの周囲に無限に存在し、渦巻いているものなんです。その生命力をスムーズに外に出してゆく。それが調和的にうまくいったとき、遠征は成功するのです。するとまた、大きな喜びとともにエネルギーが体の中に戻ってくる。人間はいわば、生命力の通り道のようなものなんです

人間は、英語で言うところの、スピリット、マインド、ボディーの3つの要素から成っていると私は思います。スピリットとは霊的な魂のこと、ボディーは肉体、マインドは理知的な心です。この3つの要素の調和がとれているのが人間の理想的な姿だと私は思います。しかし、もし肉体を疎かにすると、スピリットやマインドがいかに高くても、人間はその肉体の弱さにとらわれてしまう。人間は自分が持っているいちばん弱い要素を基準に生きざるを得ないのです

いつも死を意識しているわけではないんですが、私は死こそ生を充実させるもっとも重要な要素だと思います。誕生と死は、私たちの人生の中でけっして切り離されることなく、まるで弓の両端のように互いに強く引き合って存在しているのです。生の一瞬一瞬の内に、死がじつはリアルに存在している。そのことを知れば知るほど、逆に私たちは自分の人生を充実したものにできるのです。

■大切なのは一人一人の心の革命
科学技術の進歩を後戻りさせることはできないと私は思っています。しかし、人間が自然とのコンタクトを失わず、自然が伝えてくれるメッセージに素直に耳を傾けるなら、人間はたぶん大きな過ちを犯さないだろうと思っています。今いちばん大切なことは、国や企業を糾弾するキャンペーンよりも、一人一人の人間の心の中の革命です。それも、普通の人々の、普通の生活の中での心の変革が、じつはいちばん大切だと思います。広い意味で、地球はまだまだ大丈夫だと私は思っています。


■周囲を取り巻く無限の生命力に通じているからこそ、門司港生まれで「釣り師」のグルジーが「魚の霊」に導かれて、多くのジャーナリストが望んで誰も実現する事の出来なかった麻原の兄にインタビューする機会に恵まれたのはこの本を読めば明白です。

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Mystic Diversions - Wave A Little Light


■ギーター・サール
ギーターによって常に私は平安を得た。私が全く孤独に陥った時、周囲から絶望に囲まれた時、そして一縷の望みもそこに見出せなかった時、私はギーターに救いを求め、そして私は人生の恐ろしい試練の中でも微笑みが訪れるような、何らかの詩句をあちらこちらに見出した。私の人生は外的な苦難に満ちている。しかし、それは私自身に些かの痕跡も残していないのは、このギーターの教えのお陰である。(マハトマー・ガンディー)

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by beautiful_japan | 2007-11-03 04:05 | 和心 覚醒