絶望は愚者の選択


by beautiful_japan
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新自由主義による汚染で「タダだった水と安全」が商品になったように親の無償の愛も風前の灯火と化する

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格差社会を憂い弱者の痛みや苦しみに理解を示し、常日頃から暴力による紛争解決に反対し憲法九条を守ろうと主張する「きっこの日記」「世に倦む日々」「天木直人のブログ」の御三方が、こぞって光市母子殺害事件の死刑判決に鬼の首でも捕ったかのようなエントリーを書いていた。世襲政治家、エリ−ト官僚、守銭奴経営者が「庶民の困窮」を理解しないように、良い親御さんに恵まれたアルファブロガーの方々も「親による虐待被害者の内面の歪み」は想像の範囲外なのだろう。経済的な貧困は数値化出来るので理解しやすいが、数値化不能な情緒的な貧困は理解し難いものなのかもしれない

たとえ18才が法的に大人だとしても、それまでの18年間まともな愛情を受けずに父親に虐待され続けていたら「まともな大人」に育つ機会はない。しかも残された唯一の拠り所である母親は自殺してしまう程に不安定な精神状態だったのだ。母親の自殺の一端に伴侶として父親の影響力が皆無だったとも思えない。無力な子供は本来「無条件で親を愛したい」はずだ。暖かい愛情を注がれて育った子供は当り前のように「親を尊敬」してますと宣う。しかし悲しいかな虐待被害者にとって「親は憎悪や恐怖の対象」でしかない。幸せな家庭に生まれ育った人には至極当り前の事なんだろうが、親の自分に対する無条件な愛情と両親の間で交わされる夫婦愛を肌で感じて始めて人は尊厳や愛の意味を体得する。

家庭内における原初の人間関係が破綻しているのに他者との間に正常な関係を築けるはずがない。そして幼少期の暴力的な刷り込みの苦痛は脱出口を求めて必ず復讐として外在化する。「子は親の鏡」だから何時の間にか最も憎んでいたはずの父親と同じ行動をとって被害者が加害者に転身する事になる。アルファブロガー御三方の充実した人生の基盤に親御さんの「愛情」の記憶があるように、光市「母子」殺害事件死刑囚の意識の核には「苦痛」の外傷があるはずだ。私は死刑を人間精神の深遠さを無視した短絡的で粗雑な刑罰と評価しているが、百歩譲って死刑に価する更正不能な極悪非道な犯罪者がいるとしても彼は違う、幼過ぎる。

それと全く同じように本村洋氏もまだ若い。死刑判決が下って応報感情が満たされた余裕からだろうか?「両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない」と今回の会見では以前とは明らかにトーンが変わって客観性が垣間見える。この9年の歳月の中で心境が多少変化したのかもしれない。何れにしろ「人間は成長し変わり行く者」なのだ。本村氏が述べたように「少なくともいったんは犯行事実を認めて謝罪して反省したのに翻したのが悔しい。最後まで事実を認め、誠心誠意、反省の弁を述べて欲しかった。そうすれば、もしかしたら死刑は回避されたかもしれない」のだとすれば、親の愛に恵まれず犯罪を犯した「彼」は土壇場で弁護士にも恵まれずに自己と向き合う機会も与えられずに「死刑囚」にされてしまった「被害者」でもある。この判決を手放しで支持する連中は「弱者は自己責任で勝手に死ねば?」と言い切る新自由主義者と何ら変わらない事に気がつくべきだ。(next

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by beautiful_japan | 2008-05-03 23:54 | 宗教 vs グローバル化