絶望は愚者の選択


by beautiful_japan
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■タリバンはテロリストだと言う情報操作に要注意■

■誰一人いないだろう
キュウリの皮をむいて売る人と、それを買って食べる人。余ったキュウリの皮をあげる人と、余った皮をもらって食べる子供たち。キュウリに塩を少しつけて、それをかじり、また人々は歩いていく。たくさんの歩く人。どこに向かって歩くのか。まちがいなく生存に向かって歩いているのだ、と僕はただ感じている。物言わず歩き続けるこの人たちの姿に僕は見入っている。2500万人のアフガン人の誰一人として親や子供や兄弟や姉妹を殺されたり、犯されたり、さらわれたりしたことがない者はいないだろう。そして、それは今も続いている。その歩く姿の遠い背後に、哀しみや絶望、裏切られ続けたであろう今度こそはという期待や夢を想像してみようとしては必ず深い憂鬱に陥る。

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■2001年10月24日
タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです。我々の活動については、タリバンは圧力を加えるどころか、むしろ守ってくれる。例えば井戸を掘る際、現地で意図が通じない人がいると、タリバンが間に入って安全を確保してくれているんです。我々のカバー領域はアフガン東部で、福岡県より少し広いくらい。この範囲で1000本の井戸があれば40万人程度は生活ができると思います。

こんなふうに死にかけた小さな国を相手に、世界中の強国がよってたかって何を守ろうとしているのでしょうか。テロ対策という議論は、一見、説得力を持ちます。でも我々が守ろうとしているのは本当は何なのか。生命だけなら、仲良くしていれば守れます。だから日本がテロ対策特別措置法を作ったのは非常に心配です。アフガンの人々はとても親日的なのに、新たな敵を作り、何十年か後に禍根を残します。以前は対立を超えてものを見ようとする人もいましたが、グローバリズムの中で粉砕されていく。危険なものを感じます。

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■アフガン警察には人質を救出する気があったのか
それにしても納得できないのは今回のアフガン警察の行動である。8月28日の「朝日新聞」は「地元警察などによると警察部隊は26日、山中で犯行グループを発見し銃撃戦となり、ひとりを逮捕」「犯行グループが地元警察らの捜索から逃れる際に射殺したか、銃撃戦に巻き込まれた可能性がある」と報じている。詳細情報は分からないので断定的なことは言えない。それともちろん、悪いのは伊藤さんを拉致した武装グループであることは言うまでもなく、彼らの非道は言語道断である。しかし、今回の警察部隊の行動は人質の存在を無視したものとしか思えない。海上保安庁特殊部隊SST元隊長の坂本新一氏は「これは法執行機関が行う人質救出作戦ではなくて、軍隊のゲリラ掃討作戦ですね。しかも軍隊の訓練もまともに受けていないような民兵がやるような稚拙な対ゲリラ作戦のような荒っぽい手法です。あんなふうに攻めてきたら犯行グループは足手まといになってしまうので人質を殺害してしまうでしょうね」と述べている。

実際反政府武装勢力タリバーンの一派を名乗るムルバイ・ムニブラ司令官は27日、朝日新聞に対して日本人拉致を認め、「われわれは政府側へ何らかの要求をするための人質にするつもりだったが、日本人は政府側との銃撃戦に巻き込まれて死亡した」と述べている。一般的に途上国の警察機関は、人質の救出に重きをおかずに犯人逮捕を優先させるために誘拐事件では人質が犠牲になる傾向が強い。今回も、まともな法執行の訓練を受けた警察部隊であれば、人質の命を優先させて無謀な攻撃は行わず、交渉によって人質の解放を図るという道を選んだのではないか。犯行グループから何らかの要求があったのかどうか、アフガン政府側がどう反応したのか。外務省は詳細を明らかにしていない。あまりにも早すぎる結末。あまりにも悲しい結末。残念でならない。

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伊藤和也さんを射殺したのはタリバンじゃなくてアフガン警察だとしたらアメリカの傀儡政権の仕業じゃないのか?そもそも「真性タリバン」かどうかも不明な「自称タリバン」が跳梁跋扈してるんでしょ?まあ何れにしろ私は「神聖タリバン」支持派なんでテロリスト呼ばわりするつもりは毛頭ない。彼らの現在の活動は日本で言えば「尊王攘夷」な訳で、風土に根ざした伝統を守り伝統を破壊するアメリカは出て行けって事だから積極的に支援したい気持です。

「オリンピック選手ごときに国民栄誉賞とかあげるなら伊藤和也さんにあげるべき」って誰かが言ってたけど、もっとちゃんとした勲章(国家又は公共に対し功労のある方)とかあげてもいいんじゃないのかな?NPOやNGOってフタを開けて見れば自己実現が鼻につくような連中が殆どなのに本当の意味で「利他の精神」に基づいて活動してる稀なケースなんだから。オリンピックで金メダル取りたいって子供が増えるより遥かにいいと思う

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■神の戦士たち
バランスを失わずに、タリバンという現象の総体を理解するために
(1)アフガニスタンの置かれた歴史的文脈
(2)アフガニスタンの部族文化
(3)この地域の政治力学、そして
(4)イスラム教
少なくともこれら四つのパースペクティブが必要だろうと僕は思っている。

イスラム教神学を教える学校をマドラサと言う。パキスタン内のアフガン難民キャンプには、パキスタンや他のイスラム教国の援助によりマドラサがたくさん作られた。難民キャンプで生まれた子供たちの多くがそこでイスラム教を学んだ。 マドラサで学ぶ神学生をタリブという。タリバンはその複数形だ。アフガニスタン南部のカンダハル県マイワンド区シンギサール村の簡素なマドラサでイスラム教を学んだ少年がいた。彼はやがて、聖戦士中のヒーローの 一人、ユニス・ハリスの率いる一派に入り、ソ連軍との戦闘で片目を失ったものの、聖戦士として素晴らしい名声を打ちたてた。

1994年、ソ連の撤退から5年が過ぎていたが、彼の故郷、カンダハルは元聖戦士達に分割され、恣意的な「税」の徴収、略奪、強盗、強姦が日常化していた。彼とその仲間、計30人が、元聖戦士の腐敗を一掃し、アフガニスタンに平和と秩序を取り戻す決意をし、武器を持って立ちあがったのは、その年の夏であった。しかし、彼らのうち、その時、武器を持っていたのはわずかに14人だけであった。彼らがその約2年後に歴戦の元聖戦士達をことごとく打ち破り、 カブールに入城することになるとは誰が予想しただろうか。彼の名前をムッラー・モハマッド・オマールという。現在のタリバンの最高権力者である。

僕はその頃、クエッタに住んでいたが、何か新しいことが始まる、奇跡のような何かが起こる、救世主が現れたのかもしれない、そのような期待で、異様な雰囲気があったのを覚えている。しかし、誰にも何が起ころうとしているのかは、はっきり分かっていなかった。ただ、タリバンの進撃のあまりの速さに驚くばかりであった。すでにその時で、ソ連侵攻から15年、ソ連撤退から5年も経っていた。あらゆる期待が裏切られ「戦争疲れ」「援助疲れ」という言葉が頻繁に使われ、アフガン内戦は「忘れられた戦争」と呼ばれ始めていた。そこにあっという間に南アフガニスタンを制覇してしまう無名の戦士たちが現れたのだ。それは衝撃であった。しかも、彼らはアナーキーな状態を利用して私利を追求するのではなく、治安の回復を最優先していた。援助関係者の中にも「私はタリバンのファンだ」というものが出てきた

アフガニスタン内でも、タリバンの正体が分かるにつれ、住民は彼らを歓迎するようになった。タリバンは略奪、強姦をしない、タリバンは住民を虐めない、タリバンは秩序と治安の回復に専念する、タリバンは進出地の武装解除をする、 こういう情報が広まるにつれ、住民は警戒心を解き始めた。それぞれの局地支配者であった元聖戦士の方も、タリバンと戦うことなしに、タリバンの進軍を認める者がこの頃少なくなかった。タリバンは新しい地域に進出する際、まず交渉によって無抵抗の中を進軍しようとした。進軍には現金も大量に使われた。 金をもらった局地支配者は丸腰にされ、その地域から放り出された。交渉にも買収にも応じない場合は殲滅する。これがタリバンのやり方だった。実際のところ、94年の後半から95年初頭までタリバンはほとんど戦闘する必要がなかった。戦わずして進軍していくタリバン。無敵神話ができつつあった。

ヘクマティヤールを破った95年初頭、タリバンは既に三種類の異なった構成要素から成り立っていた。(1)真のタリバンと呼ばれる、若い神学生 (2)タリバンに寝返った、元聖戦士(3)共産党政権下の正規軍の元将校達  タリバンは決して一枚岩ではないと言われる。それはこの構成を見ても明かだ。しかし、これほどバックグラウンドが違う三者が見事な連携を保っていることは驚異である。互いに摩擦を起こし、バラバラになってもまったく不思議ではない。何が彼らを結びつけているのか。歴史、部族文化、政治、宗教、これらの要素を駆使すれば説明できるのかもしれない。先走った結論は避けたいが、この5年のタリバンの行動を振り返って感じるのは、彼らに漂う「確信」である。それはどのような「確信」なのか。例えば、それは自分の国を取り戻すのだとか、平和と秩序を回復するのだとか、そういうものだと、外国人が簡単に解説してはいけないもののように感じる。

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by beautiful_japan | 2008-09-02 23:54 | 宗教 vs グローバル化