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絶望は愚者の選択


by beautiful_japan
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死刑は復讐になっても決して償いにはならないし反省しているように見えても内心は闇に閉ざされている可能性

山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件の差し戻し控訴審の初公判が24日に広島高裁で開かれるのを前に、被害者の遺族の会社員本村洋さん(31)が22日夜、光市内で記者会見した。殺人や強姦致死などの罪に問われた被告の元会社員(26)(犯行当時18歳)について、本村さんは「卑劣な行為をした被告が、自らの命をもって償うのは当然のこと」と述べ、改めて極刑を望んだ。(read

山口・光市の母子殺害事件で、24日に広島高裁で行われた差し戻し審の初公判後、遺族の本村洋さん(31)は「怒るとか通り越して、失笑したというのが正直なところ。多数の弁護人がついているせいか、幾分余裕も感じられた。表面から見る限り、とても反省しているようには見えない」と述べた。(read

私は死刑が極刑だとは思わない。自らの犯した罪の重さを気付かせ、自責の念を芽生えさせ、良心の呵責に耐えかねて「いっそのこと自ら命を断ちたい、でもそれは現実逃避だ。この十字架を背負って生きて行くしかない」と思う程に改心させる事こそ「真の償い」だと思うから。人間の根底に在るのは「光」であり、表層の「曇」は普遍的なものではない。暗雲が垂れ込め豪雨に見舞われ落鳴が轟いても、それは単なる表層に過ぎず太陽は常に天空に輝いている。悪は愚かさと一体であり、性善説こそ人間の本性であると言い替えてもいい。「愚かさ」はそれ自体が罰そのものなのだ。

また犯罪被害者の方々がよく口にする「とても反省しているようには見えない」という見解も人間の本質を見誤っているように感じられる。仮に「反省しているように見受けられた」としても「時計仕掛けのオレンジ」のアレックスのような改心の情の欠片も持たないケースに騙されるだけだ。アレックスとは真逆に心の底から自らの過ちを悔いているのに、屈折した生育環境故に素直に表現出来ない可能性だってあるはずだ。そもそも人間は自らの心を正確に把握出来るほど、理性的な存在ではない。「喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう」愚かさは常に付きまとう。愚かさを愚かさのままにこの世から消し去っても決して贖罪にはならない。御遺族の方はそれで本当に溜飲が下がり、心の内の暗雲は消え去り光が差すのだろうか?


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by beautiful_japan | 2007-05-24 23:54 | 宗教 vs グローバル化