■三島由紀夫は教師なのか?反面教師なのか?■
2007年 11月 25日
■老子を読んでいると、三島由紀夫が反面教師として浮かんでくる。
老子はエネルギーをシフトダウンして、ゆっくり生きようと提唱しているのに、三島はエネルギーをトップのところまでシフトアップして、全速で突っ走る生き方をしたからだ。
老子を開けば、、次のような章句が並んでいる。
・木強ければ折る
・物壮なれば老ゆ
・善く士たるものは武ならず
・鍛えてこれを鋭くすれば、長く保つべからず
いずれも三島に対する警告の言葉みたいではないか。だが、反老子的な生き方をしたお陰で、彼の周辺が活気に満ちていたことは間違いない。社交上手だった彼の家には、海外からも客が押し寄せ三島との歓談を楽しんだ。彼の生き方が、そうした千客万来の賑やかな日常を生んだのである。
私はこれから三島由紀夫の生涯を概観するけれども、こちらは何しろ生来の老子愛好家だから、が三島ファンの逆鱗に触れるだろうことはほぼ確実である。(中略)
■三島が陽明学を理解できなかったのには、理由がある。
三島は唯識論や臨済禅について作品の中で蘊蓄を傾けているけれど、彼ほど非宗教的な人間はいない。宗教的世界を理解するにはエゴを超えた超越体験が必要とされるが、三島は死ぬまで自我圏内を出ることがなかった人間だった。彼の宗教論議は、すべて頭でこね上げた牽強付会の説であり、真実からは遠いのである。
王陽明が二層の自己に開眼したのは、32歳の時、陽明洞という洞窟の中で「光耀神奇、恍惚変幻」の神秘的な体験をしたからだった(洞窟内で霊的な光に遭遇したところはマホメ
ットの体験に似ている)。
もし三島が長生きをして、本気になってインドあたりでヨガの修行をすれば、唯識論も臨済禅も、そして陽明学もすべて自家薬籠中の物にしたはずである。三島なら、ひとたび求道の志を立てたら、インドでもチベットでも、どこにでも出かけて猛烈な修行をしたに違いないのだ。この点でも彼の早世は惜しまれるのである。
■あなたが光となって輝くとき、闇は消える。蝋燭は光を放つという役割を担っている。蝋燭はいかにして光を放つのか。蝋燭は自らを燃やすことで光を放ち、それによって未来を知る。自分自身を燃やせば、あなたは輝きに満ちて、あまねく光を放つだろう。人間に課せられた仕事——それは有限なる自己を通して無限なる光を放つこと。(read)