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絶望は愚者の選択


by beautiful_japan
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【邪険】蜻蛉(保留解除)【陰険】


■夏の雪駄で踏みつぶす
しかし、蝶や小鳥がフラジャイルなのは、それが稚なく幼いものであるからで、それはこわれやすくおぼつかなくて、それゆえにたいせつにされるのではない。蝶や小鳥が手にくるみたくなるほど愛らしいからフラジャイルだというわけではない。そこには「うすばかげらふのような危機感」がなくてはならない。

しかも、ここが大事なところになるが、そこには愛着と半ばする「邪険な哀切」といったものが関与する。愛着と裏切は紙一重、慕情と邪険も紙一重である。さきの白秋の「青いとんぼ」の最終行にそれがあらわれる。

青いとんぼの眼をみれば 緑の、銀の、エメロード。
青いとんぼの薄き翅 燈心草の穂に光る。
青いとんぼの飛びゆくは 魔法つかひの手練かな。
青いとんぼを捕ふれば 女役者の肌ざはり。 
青いとんぼの綺麗さは 手に触るすら恐ろしく、
青いとんぼの落つきは 眼にねたきまで憎々し。
青いとんぼをきりきりと 夏の雪駄で踏みつぶす。

「うすばかげらふのような危機感」の美は、白秋の最終行ではきりきりと夏の雪駄で踏みつぶしたくなる危険にもなっている。このたいせつにしたいのに雪駄で踏みつぶしたくなるような二律背反の感覚が「邪険な哀切」なのである。途中、青いとんぼが女役者の肌となっているあたり、これは三島の玉三郎へのおもいにも通じていた

■退院報告と見舞御礼
腹がタテ真一文字に20センチ(おへそをよけて)ほど切り裂かれて、胃袋が真ん中でチョン切られて縫い合わされている。これはどうみても、食えないマグロです。そういう異様な体のあちこちに、酸素マスク、鼻から2本の管、背中から硬膜外の塩酸モルヒネ・カテーテル、消化液や胆汁を排出するための脇腹から不気味に出ている2本のドレーン、尿道に突き刺さったパイプ、手首から絶えず注入されている3袋の点滴液の管、これらがひっきりなしに外挿かつ排出されているのですから、どう見ても、みてくれの悪い人工昆虫です。なぜこんな羽目になったかといえば、ぼくの体に「異質な他者」が発生していたからです。これは自己ではなく「非自己」の介入です。

入院中に最も納得させられたのは、管だらけの昆虫人間を緊急に造成しておきながら、これらの管を1本ずつ、適確に抜いていく断乎たる速度です。 ぼくの人体はいったん生ける人工システムになるのですが、それを今度は解除していくんですね。最初は尿道に突き刺さった透明パイブの除去でした。次が酸素吸入パイブ。そして硬膜外カテーテル、脇腹から出ているチューブ‥‥というふうに。最後の最後に抜かれたのが点滴チューブです。いったん緊急人工事態をつくりあげておいて、次にこれらを徐々に解除する。あとは、さあ、松岡正剛、おまえの傷だらけの生身が残ったぞ、という具合です。

■ぼくにはそういう性癖がある
そもそもぼくには、誰かと競いあうという競争意識がまったく欠けている。小中高を通
じていっさい誰とも競わなかったし、その後も誰かをライバル視することも、貶めたいとおもうことも、あいつには負けられないと思ったことも、ない。その後も、誰が成功しようと、誰が大儲けしようと、まったく関係がない。嫉妬もない。また、挑まれたこともなく(そういう相手がいたとしても気づかない)、誰かを選んで挑んだこともない。

そのかわり、ここがなぜだか妙なことなのだが、歴史の中を遊弋した人物にはめっぽう惹かれて、その歴史の活動の奥に分け入っては、まるでその時代の息吹を同時代でうけているかのように、その者たちとともに、当時の熱情や哀愁や、また革命や孤立に駆り立てられてしうまうのである。ぼくには、そういう性癖がある。

【本日】有楽町駅前の蜻蛉【撮影】(read

by beautiful_japan | 2008-01-04 23:53