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絶望は愚者の選択


by beautiful_japan
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■anti monopoly■

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■社会的共通資本を共有する作法
市民的成熟とは「個人がリソースを私的に所有する」経験をどれほど積み重ねても、身につくものではない。そうではなくて、「個人が私的に所有することができないし、するべきでもないもの」(それが「社会的共通資本」であり、「パブリックドメイン」であり「入会」である)をどのようにして他者と共有するか、その「やりくり」の技術を錬磨してゆくことを通じて、ひとは「市民」となるのである。 それは「競争によって他者を蹴落とす技術」にいくら習熟しても身につくものではない(当たり前である)。他者を威圧し、他者から畏敬されるだけの経済力や暴力をどうやって確保するかという戦略の延長上にもない。私が私有できず、あなたも私有できないものが私たちの生存を支えている。それをどうやってともに守るのか。社会的共通資本についての議論は(環境問題がその典型だが)「社会的共通資本を適切に管理するやり方を知っている私」に全権を委ねよという議論にすぐに転がってゆく。そういうことを言う人は「社会的共通資本」という概念をまったく取り違えている。たいせつなのは資本「そのもの」ではなく、資本を「共有する作法」だからである。
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■市場の拡大は自由の拡張という幻想
しかしポピュリズムには、資本主義社会を勝ち抜くことを積極的に肯定し、とくに独立自営者たちに共感を示すところがあったため、そのプロパガンダ性がマスメディアに乗りやすく、つながりやすく、そういうせいもあって、やがてポピュリズムはそのイデオロギーの如何にかかわりなくメディア政治化し、「ポピュラー民主主義」ともいうべき大きな力を発揮した。この勢いに80年代になって結びついたのが、新自由主義の「市場原理主義」と「民営化」路線であり、それを最大限に活用したレーガンだった。日本ではお粗末すぎてはいたが、小泉内閣がこれを利用した。これらがポピュリズムそのものであったことは、小泉劇場政治にも顕著であろう。かくて新自由主義的ポピュリズムはケインズ型の福祉国家のヴィジョンの不備を突くという大きなムーブメントをつくりあげ、公的領域を狭くして「官から民へ」を推進しさえすれば、「市場の拡大」はそのまま「自由の拡張」になるだろうという幻想をふりまいていったのだ
by beautiful_japan | 2008-12-30 23:54 | 宗教 vs グローバル化