■Imaginary Script・Brain After Google■
2009年 08月 27日
われわれは、いつしか「ソーゾーする」とか「クーソーする」ということが必ずしも想像力や空想力の敗退や失態にはならないということを、すっかり忘れてしまったドーブツになっている。何かを想像すれば何かが叶うというのではない。叶わぬまでもそれでも想像しつづけていくことが、かつては少年少女の「銀河鉄道」や「秘密の花園」だったのに、いつのまにか「そこにあるもの」だけがほしくなり、「そこにないもの」にソーゾーを駆使しなくなった。
それはもったいない。どこにも面影がいなくなる。それではせっかく浮かんだ面影の行く先がない。
いったい少年少女の首の上にくっついて、目を凝らさせ耳をそばだたせている、その大きなニューロンだらけの桃のようなものは何なのか。そこはソーゾーの源泉の桃であるはずだ。それならその桃を動かして、想像することのほうが現実になり、その想像的現実がときに自分の想像すら超えていくことだって、見えてくるはずだ。そういうことが、おこっていてもいい。
かつて少年少女だったころ、われわれはまさにそのことをこそ小さな桃に託していたはずである。だったら、その桃の中のイマジナリー・スクリプトを、いまなお新たに紡ぎ出していくことこそが重要だ。(read)
インターネット革命が起き世界がフラット化した今クリックするだけで「そこにあるもの」は何でも見聞き知ることが出来る。携帯を手にして電話番号の暗記が不要になったように利便性と引き換えに失ってしまった「ソーゾーする力」の欠如がデフォルトな世代の知り過ぎた老成と絶望。
■Michael e - Beautiful World(youtube)